西暦2026年のナガサキ

どうも、変なオジサンです。
はてなて奴も一度やってみたいと思い発作的にブログ作ってみますた。

地元の空きやが目立つ住宅街を仕事で歩き回ってると、暗黒宇宙の赤色惑星から毒デンパの啓示を受け、以下の様な文章を書いてみました。
えぇ、負け組のひがみと妄想ですとも…
でも、少しでも私の黒い心で世の中に憎悪を増大させてみたいと思うのでここに公開します。
なお、俺は低学歴の無教養な負け組ですので、かなりの煽りと誤解と偏見に満ちています。
(よく読み返していないので、誤字脱字も)

ネタもとは、有名なアルファブロガー
分裂勘違い君劇場西暦2026年の日本 - 分裂勘違い君劇場 by ふろむだ

BI@K Bewaad Institutehttp://bewaad.com/20060411.html
です。
なお、トラックバックする勇気はありません。

私が書くことですので新しい発見はありません。それでも良ければ笑って読んでください。
それではどうぞ。


西暦2026年。のナガサキ

俺は新聞屋である。と言ってもジャーナリストでは無い。殆どの家庭に毎朝新聞を届けてる商売だ。いや、新聞屋とは言えないかも知れない。
新聞の再販制度が廃止されて15年は経つ。その結果、シェア競争が激烈となった。ノーガードの殴り合いが巷の販売店で繰り広げられた。立場の弱い末端の販売店がそのコストを払う事となった。専売制が崩壊した。新聞各社は地域に自社の販売店を一つ持っていたのだが、それが統合され複数の販売店が各紙を取り扱う様になった。新聞各社が裏でカルテルを結んだとも言われている。値引き合戦、”サービス”合戦で新聞だけでは利益が出ない様になった。ましてはネットインフラの飛躍的な発展と低価格化、手軽に扱えるモバイル端末の普及とそれに抵抗感が無い世代が広がった事により、紙メディア離れは加速した。
であるから新聞販売だけでは食えない。残されたのは「地の利」だけである。この「地の利」を生かして色々な商売を兼ねている。たとえば…

店の電話が鳴った。単身用マンションに住む若いお客様からである。電話を取ると苦しそうな声で「なるべく目立たない様」来て欲しいの事である。コンピュータ周辺機器のトラブルなんだそうだ。そこまで聞いて俺はピンと来た。
俺:「お客様もしかして、アレですか?」
客:「アレです…とにかくすぐに…」

最近は「擬体」がやっと低価格化して出回る様になった。精巧に出来たダッチワイフである。大昔のダッチワイフと違うのは肌触りから抱き心地に至るまで巧妙に本物の女性に似せて作ってある事である。暗闇なら本物の女性と暫くは解らないかも知れない。体内にはいくつものアクチュエーターが内蔵され体温もあれば呼吸もする。この「擬体」の最大の売りは、実際の女性が操作していることだ。ネット経由で第三世界の若い売春婦と繋がっている。実際の人間が反応し、モニターごしに、かすかな表情の変化や、息づかいまでがリアルに伝わり、体位や愛撫さえ伝わる「擬体」は爆発的な人気を得た。
その「擬体」に制御ソフトの致命的なバグが発見された。プレイ中に大事な所を咥えたままフリーズするのだ。メーカーは緊急パッチを公開したが、どの時代にもバージョンアップは怠られるものである。

マンションの入り口についた。マンションの入り口はネット経由で管理されている。ネットの向こうの管理人は顔見知りである。タイ人のポンムチャイである。新聞配達の為に毎日いくから向こうも見知ってくれた。監視カメラにメッセンジャーのIDを書いた紙を掲げて顔見知りになった。彼はここらあたりのマンションの管理をオンラインでやってる。日本のアニメグッズをDHLで送って懐柔した。何かと便宜を図ってもらってる。いつもなら俺の顔を見てドアが開く筈なのに開かない。居眠りしているらしい。携帯からメッセンジャーで「WakeWake」と送った。ドアがやにわに開き照明が一回点滅した。
若い男性はそれは気の毒な姿であった。持参した工具で慎重に「擬体」をばらして、人造穴のロックを解除した。制御ソフトを上書きして、俺は少なからずの手間賃を電子マネーで受け取り退散した。

ナガサキと言えば「坂の街」である。住宅が山の上まで建ち並んでいる。だがその中身は昭和の時代と様変わりした。昭和の時代、山の上に一軒家を持つ事がステータスであった。歴史香る街の眺望で一家団らんが人々の夢であり、多くの人が家を持った。ところが彼らが歳をとると山の上の家は空きやが目立つ様になった。その生活は不便な物となった。規制緩和で大規模ショッピングモールが次々と進出し地元の商店街は軒並み寂れていった。若い世代は車社会に取り込まれ、山の下の平坦地のマンションに住むようになった。山の上はゴーストタウンになり、山の下はマンションが林立する事になった。
そこを襲ったのは「平成の大改革」であった。ホワイトカラーエグゼンプションの導入により更に労働者に圧力が加えられていった。実質中間層までが下流化した。工場労働者の個人請負が合法化されたのは2009年の事だった。「個人事業者は大企業と対等な立場となる。」というふれこみであった。ここに生活保護水準以下の収入かぎりぎりの労働力が多量に提供される事となった。生産現場の不良品、労災、生産設備の一部、ツールに至るまでリスクとコストをおわされる。
貧困ラインの彼らは不安定な雇用を求めて全国をさまよう事となる。そこでたどりつくのがナガサキの地である。

日本政府は2008年の総選挙で圧倒的な勝利を収めた後、念願の憲法改正を果たした。その後、徹底的な対外強行路線を取る。政治的に世界で反発と失敗を繰り返すアメリカはアジアでも反米政権を生んでいった。アメリカは軍事的プレゼンスを強化していった。それだけでは、軍事的にも経済的にも押さえられるものではない。そこで日本に求められたのは「イスラエル化」だった。”特定”アジア諸国の脅威が叫ばれ、日本はかつての戦争の時の様に、「強大な共産主義勢力」から世界を守る盟主とされた。「歴史認識を誤った強大な共産主義勢力を正す正義の味方」と国内向けに喧伝された。戦後の教育を受けた年寄りは黙るより対抗するすべがなっかた。国内の不満は諸外国(特にアジア諸国)との軋轢にすり替えられた。

よって軍需産業は飛躍的な伸びをみせる。ナガサキ勝海舟の昔から「軍需産業」の街だ。朝鮮特需ならぬ「アジア解放特需」とも呼ばれた。そうそうグローバル化も出来ない軍需産業ナガサキの街は沸き返った。日本政府から見れば国内で、アメリカから見れば信頼すべき同盟国で米国内の半分の賃金とコストで、高度なスキルを持つ労働力が得られるのである。
砂漠のオアシスに労働者が一気に押し寄せてきた。それは、生産技能工から技術者までで様々である。彼らは日本中を一時の仕事を求めてさまよい歩く。ロマニー族と言われる日本人の半分を占める労働者階級である。一部の「極めて生産性の高い部類に属する知識労働者たち」や公務員や希にニッチな商工者、資産家階級、年金暮らしの土地持ちの年寄りは定住するが、普通の労働者階級は職を求めてさまよい歩かなくてはいけない。パレット1/4サイズのコンテナの家財荷物は宅配業者が預かったり、必要に応じて赴任地に配送してくれる。夜行バスや復活した極めて安いJRの夜間長距離急行で鞄一つで全国を渡り歩くロマニー族は今や日本の風景の一部である。

ここで「住居はどうするのか?」と思うかも知れない。だが、それは心配ない。山の上の方で見捨てられた住居が彼らの住処となった。はじめはちゃんと家賃を払って住んでいた。だが貧民のゲットーと化し、仕舞いには誰が正式な居住者か不法占拠者なのか、訳がわからない様になった。
そこで、様々なトラブルが発生する。まずは下水上水の問題だ。大半が住民票を持たない彼らは下水道のサービスを受ける事が出来なかった。上水はかつての井戸が復活して使われた。衛生状態が極めて悪くなり、江戸時代のナガサキの様に疫病が発生し始めた。結局、市当局はほぼ無料に近い形で上下水道を解放せざるを得なかった。山の下の住民は「フリーライダーに我々の血税を使うのは許さない。」と言った意見も多かったが軍需産業も労働力を失うのをおそれたし、市に疫病の蔓延だけは避けたかった為うやむやのうちに押し切られた。
あと、教育の問題である。市は彼らの居住実態を把握することが困難だった。また、住民税を払う事が困難な彼らはわざと住民登録を曖昧にした。よって未就学児童が大量に出る事となる。また医療の問題。国民皆保険などとうの昔神話に過ぎない。彼らが医療を受けるのは末期の時期のみであった。
そこでそれを解決しようとしたのは、古くからの街の年寄り住民達だった。彼らは山の下のマンションと山の上の住民達との中間の住宅街に住んでいる。先祖からのナガサキの住民達だ。彼らは年金かパート労働で生活している。
だが、目減りした年金では暮らしていけない。そこで、山の上の住民に山の下の年寄り達は、教育、医療(不十分だが)、果てはモグリのWi-Fiネットワークまでも提供した。それで幾ばくかの利益を得るのである。年寄り達の古いスキルは意外な所で役に立つ事となる。小学校の空き教室や寂れた公民館を市から提供された。市民ボランティアの学校や診療所が開設される。車が無いのでショッピングモールには買い物に行けない山の上の住民の為に食料や日常品の提供をする小商いで生活の足しにした。
治安が著しく悪化していたために、ロングテールのしっぽまで食べ尽くす巨大資本も警察も追いそれとは手出し出来なかった。
山の下の年寄りと山の上の住民達とで自警団が結成されると、犯罪は激減した。財政難の市当局も彼らを追認するしかなかった。奇妙な信頼関係と相互依存により街は絶妙なバランスをとっていた。いざ火事など発生しても消防署より早く自警団が消し止める事さえあった。これも共同体を守るために、山の上の住民と少しずつ信頼関係を築いていった努力の結果であった。

その年寄り達の一人が俺である。先祖からの家に住んでいる。マンションの住民から山の上の住民まで、困った事があるとすぐに飛んで行く。不法にデジタルテレビをアナログの放送に変換する野良の放送局を設置した事もある。足の悪い年寄りの為に買い物代行するのも日常業務である。介護保険は限度があってそうそう使えない。

山の上の住民の朝は早い。5時には起き出し、6時には工場送迎のバスにのる。朝の渋滞を避けるためだ。山の上から山の下に連なる階段をぞろぞろと降りてくる。帰るのは夜遅くなる事もある。夕刻には山の下の年寄りの屋台や商店から夕食を買う彼らで賑わう。市民ボランティアの学校から裸足の子供達が帰ってくる。それはもはや第三世界アジアの喧噪そのものである。

山の下の市街地に目を向けよう。市街地の平坦地はマンションが林立する。ここに人口の3割のホワイトカラーが住む。市街地中心部に近い丘の上には厳重に警備された高級住宅街がある。これは地元の軍需産業の名前を冠して「××ヒルズ」と呼ばれている。港のそばには53階だての超高層ビルを中心とした勝ち組専用の住居件商業施設が賑わう。ここには俺も立ち入った事が無い。第一むかつくし、身なり風体が立派でないとうさんくさい目でみられ、時には追い払われてしまう。そして港を囲うように林立する工場群は休むことなく明かりがともり爆弾だの軍艦を造っている。街は活気を取り戻していた。
もっとも中心部に近づくにつれて警察官の姿が多くなる。検問や有無を言わさない身体検査など日常茶飯事だ。それは「自爆テロ」対策である。
2020年に「東アジア労働解放戦線・狼」を名乗るテロリストグループがWebページにメッセージを残して自爆テロを行った。羽田空港ターミナルビルは半壊し、子供20名以上を含む168人が死亡、800人以上が負傷した。その後、模倣犯が後を絶たず政府は躍起となってテロ撲滅に力を入れたが結果は芳しくない。羽田空港を爆破した犯人はネットやタブロイド紙は「中共、半島系テロリストグループの仕業」と書き立てたが、捕まえて見れば、世捨て人の元大学講師だった。それでも政府系機関とか警察所、大企業など年に何度かは自爆テロに狙われている。

先ほどのタイ人のポンムチャイの甥がナガサキに来ていた。新しいビジネスを展開する為に視察に来たらしい。老舗の中華料理屋で待ち合わせした。すぐにうち解けて酒をのんだ。彼は俺に日本人の身元引受人の一人となって欲しいの事。俺はさてどうしたものかと思案する…。

こうして、いまや、日本のような先進国が、発展途上国化することとなった。いや、日本という先進国に住んでいるにも関わらず、発展途上国の様相を見せる様になった。日本の都市には、異なる収入や文化価値観を持つ新国民が暮らしている階層社会となった。日本において、国民国家意識は変容し、富裕層と国内流民の軋轢が顕在化した。産業化の進展によって、豊かな国力を取り戻せると信じていたが、また希望を失っていった。労働者として独立した現代市民たちは、またもとのプロレタリアートに戻っていった。

こうして、グローバリゼーションは、結果として、先進国の中でさえも格差を拡げることになった。
しかし、これは果たして、人類の勝利なのだろうか?はたして、グローバリゼーションは、人類を幸福にしたのだろうか?そして、これはいつまで続くのだろうか。また、誰もが一定の文化的生活を営む事が出来る時代がやってくることもあるのだろうか?少なくとも今は、その兆候は、まったく見られないのだけれども。