死刑執行に思う

連続幼女誘拐殺人 宮崎勤死刑囚らの死刑を執行

宮崎さんちのツトム君が死刑執行されたけどさ、いやさ、俺がツトム君だったとしてもさ、
鳩山だけには死刑執行されたくないはさ、あんな昆虫のように下品な奴にさ。
笹川にしろ鳩山にしろ、それを褒め称ている、「素直なニホンジン」ほど怖いものないわさ。悪い奴は吊せ。てなもんさな。鼻くそほじりながらワイドショー見ているお前らが「被害者感情」なんてちゃんちゃら可笑しいがな。お前らに「社会正義」だの「被害者感情」だのいう権利はねーよ。実際、被害者じゃないだろ。
だいたい日本には「敵討ち」制度があったけど、それも幕府にかちかちに管理されていたし。国家にしろ人殺しする権利は無い。被害者にしろ、その家族にしろ。だいたい「感情」で殺人が肯定されるなら、「悪い奴」なら殺して良いという理屈で、それはOsama bin LadenやGeorg ebush と同じ理屈だわさ。国家権力さえも殺人は肯定できない。そこで「吊せ」というだけで、シリアルキラーと同じ地平を歩く事になる。

そういえば障害者学級にすぐ暴れる問題児がいた。(まあ彼とは幼い頃から付き合いだが)その子が暴れても学校の先生は絶対体罰を与えなかった。その子がやったことを手取足取りその場で時間が何時間かかろうと説得説明してなっとくさせた。それは深夜に及ぶ教育者の熱意の指導であった。
まあ、国家の暴力装置を容認すると、暴力を容認する矛盾に陥るわけで、それでも矛盾が存在する世界だからこそ国家に一部の暴力を容認しているわけで。
そこにはためらいや深い洞察がないのは水戸黄門がロングランする脳みそスースーの単純馬鹿愚衆愚民の我が誇りある美しい国ニッポンでいやはや素晴らしいこったと言うわけですよ。

追記

それが九州では見たことがないサンケイ新聞でやってくれたらしい。

▼神ならぬ人間が人間を裁き、死をもって罪を贖(あがな)わすのはいかがなものか。国家による殺人だ、という死刑廃止論者の理屈は一見、もっともにみえる。だが、凶悪犯の衣食住を保障し、国民の税金で一生のうのうと過ごさせることが社会正義にかなうはずがない。

ばーか、死刑囚だろうが最後まで人権あります。のうのうと過ごせるて死刑判決出たとたんに切腹でもしろてことですか。死刑囚という例外、人間であって人権が与えられない者が出てくるのは、人権を止める第一歩です。お前らに人権ありません、てことだ。ただ法に依って処せられるだけです。「凶悪犯の衣食住を保障し、国民の税金で一生のうのうと過ごさせることが社会正義」で無い国もあります。ナチスとか北朝鮮。サンケイてよっぽど北朝鮮が好きですね。
まー、勇ましい言ってるサンケイ読者諸氏も今からマスゲームの練習していた方がいいよ。

キム君の代わりにオクダ君とかミタライ君がお立ち台で手を振ってくれるから。