G8サミットロゴマークに隠された脅威の事実。

G8サミットのシンボルマークは亀です。イタリアを襲った地震を記念したもので、政府と民族の調和と協調を願ったものだそうですが
http://www.g8summit.it/G8/Home/Summit/G8-G8_Layout_locale-1199882116809_LogoG8.htm
実は恐ろしいかくされた魔物がひそんでます。


G8のシンボルマークです。


がこれを右90度回転させると…


ドラクエの一眼のモンスターが潜んでます。

ああ、恐ろしい。
ドラクエの発売がG8サミットに重なったのはこんな恐ろしい策謀があったのですね。

さあ、飯喰って寝よう。

お前らには死刑をする資格は無い。

さっきさ、オカンを長崎の中の農場に車で送っていった。
山の中のNPO。地元で農業とか音楽を通じて反核活動とかやってる。

まあ、農家な訳だがそこで平和にあらゆる思想や宗教のひとが仲良く酒飲んでいるわけだ。
カソリック創価学会、地元の神社の氏子からお寺の檀家、果ては共産党員まで。

関係の無い話終わり。

死刑の是非がこのところ言われているけど、俺は思うわけ。

「お前らに死刑をする資格はない。」

人を罰する資格があるのは「神様」だけ。人間がやるのは越権行為。
聖書には最後の審判の話が出てくるけど「全知全能の神様」以外は人を罰する資格がないのですよ。あ、おれカソリックじゃ無いから聞きかじりだけど。
では、なんで刑法とかあるの?とか、悪い奴はどうするの?とかいうけど、今、悪い奴を刑務所ぶちこんだり首を吊してるのはあくまでも「処している。」だけ。つまり、神様に一応この世のことを一部任されているから仕方なく対処しているだけ。
俺は裁判なんかで「反省してます。」とか、「犯人は反省の意思もなく。」とか言うけど、とうてい理解に苦しむ。俺は。反省すれば良いってもんじゃないだろう。
人間なんて10数年でDNA鑑定の結果すら変わるふたしかな生き物なのに「反省を要求したり」「命を持って償わせ」たりする不思議な生き物なんだ。そんな不確かな生き物が「命を持って償わせる」のは神様や生命に対してあまりにも傲慢ではないかと思う。
命と言えば、シリアルキラー(とされる)宮崎某や麻原某だって命だぜ。彼らは死刑執行されるまでは犯罪者でもなく人権て奴があるんだ。もし彼らの人権を否定すれば、お前らの人権も否定して良いことになっちゃう。人間が人間であることを止めさせる事は出来ないよ。あんな悪奴人間扱いする必要が無いてどいだけ傲慢な事だろうと思う。お前は神様か?肌の色は緑色か?
あんな奴ら人間じゃねーから早く吊せて?人間は人間だ、火星人だって金星人だって地底人だって人間だ。あいつら人間じゃねーてどいだけ殺した。まさかヒロシマナガサキ忘れてねーだろ。南京やチベットベトナムを。
ほら、殺して良い理由なんて一切無いよ。例外は一切認めない。
え?わけわからんて?そうだろうな?
被害者や被害者の家族とか愛する人なら犯人を凄く憎いと思う。俺がその立場だったら犯人をさくっと殺しちゃうかもしれない。でもテレビの前で鼻くそほじりながら騒いでるお前らが被害者か?その家族か?世論の声だと?笑わせんじゃねーよ。お前らには吊せとか言う資格ねーよ。人間だから。
でも人間社会には秩序とか必要だから必要に迫られて処してるだけだ。そこに謙虚さが無いと、人間は神様じゃ無いのだから。
おれ自身がちょっとした「基地外」だから言えるけど、人を殺す奴は殺す。佐世保の少女だって、タクマーだって、酒鬼薔薇聖斗だっていつかはやる運命だった。俺が何故やらなかったかといえば、運が良かったからだ。家族とか友人とかネットの仲間とか精神科医に恵まれたからである。もしかしたら今ブログで今すぐあんな非道な奴は吊せと言われる立場にいたかもしれない。
人間が人間として生きるなら誰でも殺しちゃだめだ。それが殺した人であっても。もし殺したら、殺す事を認める事になっててしまう。取り返しがつくつかない以前の問題として人間ならあらゆる人間をころしちゃだなんだ。理屈じゃなくて神様との約束なんだから。

人が生きていくと言うこと

長崎市で二〇〇三年七月に起きた男児誘拐殺害事件で、児童自立支援施設「国立武蔵野学院」(さいたま市)を退所した加害少年(18)が昨年九月、県職員と九州の里親のところに向かう途中で行方不明となり、数日後に長崎市内で保護され施設に戻されていたことが二十七日、県などへの取材で分かった。県は児童福祉法の理念や個人情報保護の観点から少年の近況や更生状況などを公表していないが、退所後に施設に戻すという事態が発生したことで、更生教育の成果も含めた情報開示の在り方があらためて問われそうだ。

長崎新聞2009年5月28日の記事

http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji/20090528/01.shtml

この逃げた少年とは2003年に長崎市の大橋にあるヤマダ電気店頭から4歳の男との子を繁華街の浜の町に連れ出して立体駐車場からつきおとしてしまった事件だ。その児童福祉施設(児童自立支援施設)に送られたそうだ。今回武蔵野学院を退院
して里親に行く間に自殺しようと逃げたららしい。いや彼は自殺する自分がどこにいるかも何者かも理解出来ないだったんだろう。この、痛々しい魂は彷徨い続けなくてはいけなかった。ていうか少しだけ自由の空気を吸いたかったんだなろ思う。
かれがホントに自殺しなかった事を嬉しく思う。

良心の呵責で自殺したかったそうで。

人を殺さざるを得ない魂でも救える様な社会はやはり必要だ。

さもなくば少しでも規格外の労働者は廃棄処分だからね。

だから彼を里親に持って再教育してくれるのは素晴らしい事だともう。

大分キヤノンの派遣切りについて。

引用:http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/64784
大分キヤノン 請負従業員削減「経営のツケ」 労組が雇用維持要請
 約1100人の請負従業員の削減見通しが明らかになった大分キヤノン大分県国東市)で10日、同社の請負従業員でつくる「労働組合日研総業ユニオン大分キヤノン分会」や支援団体の代表たち7人が、雇用の確保と住まいの保障を求める申し入れを行った。請負従業員側は「生産見通しを誤った経営陣のツケを私たちに押し付けるのは納得いかない」と経営責任に言及。大分キヤノン側は正門の外で社員5人が応対。申し入れ書を手渡されたが、「預かるが回答するかどうか分からない」と述べるにとどまった。

引用終わり

数年前に大分キヤノンで働いていた俺様がちょっと通りますよ。

前職は某大企業の社員だったんだ。まあ酷いスーダラ社員だったけど鬱病を得てね不要な人材とされたらしい。リストラされた。

当時はタケナカ構造改革が始まった頃だ。銀行が経営に口を挟む様になった。それにつれて製造業の現場も劇的に変化していった。まず、製造の現場に派遣が入ってきた。それまで社員が製造ラインに入って、いわば職人の梁山泊の様な現場に、全くの素人さんが入って来た。若い人がトラブルを起こす激増した。また「研修」と言う名のブラジル人もいっぱい入って来た。彼らは驚く程低賃金だった。まず、不良率が大幅に上がった。日本語が“通じない”日本人とか日本語も英語も通じないブラジル人とかを現場や品証、製造技術部門は相手をせざるを得ない。詳細な製造マニュアルが3カ国語、4カ国語で作られた。寝る時間が無くなる程派遣を受け入れる体制作りに追われたそうだ。
問題は品質とか不良とコストとかそれだけでは無い。
治安がものすごく悪化したのだ。
まず、それまで10年勤めた社内は「物がなくなる。」事など全くと言って良いほど無かった。社内で落とし物しても殆どの場合は戻って来た。それが頻繁に物がなくなる様になった。ノートパソコン、小銭、鞄、などなど。一度はフロアごとデスクトップのPCが無くなった。
それは社内だけではない。会社の駐車場を含め市域の治安が極端に悪化した。まずは自動車が荒らされる様になった。ダッシュボードの小銭ほしさにガラスをぶち破るのだ。一斉に自動販売機が撤去された。ひと夜のうちに破られるからだ。自警団がパトロールし駐車場には監視カメラが設置された。街には外国人向けの食料品店が出来て賑わいを見せる。エスニックフードが好きな俺にはこれは歓迎だ。子供と女性は夜出歩く事が無くなった。
会社の寮の隣が食品工場で外国人労働者最低賃金かそれ以下で働いていた。彼らと話す機会があったが皆家族をかかえて必死だった。一銭でもお金を残すためにぎりぎりまで生活費を切り詰めていた。“清貧”とうい文字通りだった。
かといってそこの経営者が儲かっているわけでも無かった。なぜなら彼の受け取る単価も極端に切り下げられているからだ。街には開き商店や売り家、開き工場が目立つ様になった。
そうこうしているうちに正社員の大粛正の嵐が吹き荒れた。まずはその会社ではめったにいない高い偏差値レベルの新人達や中途が採用される。彼らに業務を引き継いで暫くすると、
長年勤めた社員達に大粛正の嵐が吹き荒れた。
ある人は毎日草むしりやペンキ塗りである。中年の昨日まで第一線の管理職やエンジニア達が手のひらを返した様に冷遇された。彼らがこれまで会社を築き上げどんな思いで支えて来たかを知る物には目を剥く様な光景だった。様々な退職強要がされた。今なら絶対パワハラで訴えられているだろう。彼らは地域清掃中というゼッケンをつけてシャッターだらけの地元商店街のゴミ拾いをさせられた。
生き残ってスキルのある人は海外の企業に拾われ、そうでない人は石もて追われる様に去っていった。(俺もその一人、自己責任て言えば自己責任だけど前の職場を追い出され(ごねて暴れたので退職金は3倍ふんだくったけど)
)そして残ったのは、「不良品の山」と「4カ国語(英語、スペイン、ポルトガルそれと“簡単な日本語”)に翻訳された作業マニュアル」と「生き残った正社員の100時間を超えるサービス残業」であった。(この作業マニュアルは後に中国語が追加される。)言葉すら通じない。「物を丁寧に扱う。」とか「いきなり職場から逃走しない。」とか常識以前の問題が起き始めた。
彼らは作業マニュアルも常識も無視して異常に大量の不良品の山をつくりあげて「これだけ成果をあげたから給料をあげろ。」と要求するのだ。
このようにアグレッシブな外国人はまだいい。「常識」を教育すればいいからだ。(言葉の壁は高いが…)
高校からいきなり偽装請負の派遣で現場に放りこまれた若いフリーター達は哀れであった。なにせ「社会人としての教育」を一切受ける機会がなく、ただ搾取されるだけの「生きる部品」であった。低賃金で生きていくのが精一杯であった。挨拶はおろかいきなり欠勤する、職場を放棄する。決まり事を覚えない。社会常識を一切教育されていなかった。数字しか見ない管理職は安い単価で人材という材料を調達し運用が末端にしわ寄せが来た。
彼らを教育する余裕などなくただ使い捨てするより方法が無かった。管理部門も労働条件に文句を言う彼らを、「派遣会社に言ってください。」と追い返すほか無かった。
多くの元同僚が壊れていき不幸な若者と不幸な外国人労働者ばかりとなった。
会社は過去最高益を記録した。
その元職場はどうなったか?
一部の開発と管理部門を除き誰もいなくなった。不幸な若者も外国人労働者もいなくなった。
ものけのからである。昨今の不況はもとより生産自体が海外にシフトした。設備備品は輸出され、工場はモノケのからになった。街はゴーストタウンになり商店街は寂れ、パチンコ屋さえつぶれていった。昭和初期の農業だけの街になった。泥棒さえいなくなった。

それで今は地元のパート労働者を俺はやっている。

以前、大分キヤノンでちょっとバイトやった事ある。作業請負会社を通じてだ。
仕事は50秒あたりで1台の生産作業をこなす。一日400台なら400台のノルマがある。1ラインを一つの作業請負会社が請け負う。
とにかく大変な労働である。まず作業マニュアルを頭にたたき込む。それはなんとか頭でやることなので出来る。だが実際の作業は体がついて行かない。脳内の処理に体が反応しない。ネジを締めるにしても若者のスピードには完全についていけない。「お前ら、100メートル10秒台で走れますか?」気合いでも根性でも無駄である。ガキの頃から運動オンチの俺にはタイヘンな事である。
それでもなんとかこなしていたが、ラインで流れる機種が変わり、要求されるスピードや作業項目についていけなくなるとあっさりとクビになった。
さりとて俺をクビにした“作業請負会社を”さして「不当」だとは思っていない。作業請負会社も「不当」に「搾取」されているからだ。
作業請負は工場のスペースのレンタル代、電気代、工具代、製品の部品代から払う。もちろん人に関するコスト全ても。本来は生産する企業が負担すべき殆ど全てのコストを請け負い会社は負担する。企業はコストもリスクも請負会社に丸投げするわけである。それだけではない。
たとえばノルマが8時間の1シフトで400台デジカメを生産するとしよう。そこで399台しか生産出来なかったとする。その場合一切請け負い会社に報酬は一切支払われない。ゼロ。全くのただ働きで生産に関するコストは請負会社が企業に支払う事になる。それなので、どうしても間に合わない時は企業の正社員から廻りにいる人から一致団結して休憩時間を返上してノルマを達成させた。

ところでそんな請負会社や派遣で戦力になるのは若い人だと思われるだろう。だが実際はそうでもない。職場に定着し実際に戦力になるのは案外「オヤジ」世代である。
前に勤めていた大企業をクビになったときからでもそうだった。若い人は実に「教育を受けていない。」人が多いのである。「教育を受けていない。」とは別に学歴が低いとか、学校に行っていないとか、漢字が読めないとか、因数分解が出来ないとかではない。先に書いた様に社会人として当然というべき事が出来ていない、突然バックレたりする。理解できていないのである。というか知らない、だれも一度は教わる事を教わっていいないのである。
であるから安定して働きその場の状況を考え、また先を読んで行動できるのはオヤジが多い事になり、オヤジが主戦力になってしまう訳だ。
かわいそうなのは若者達だ。スポイルされたまま、肉体を持つ機械として使い捨てなのだ。文字通り。

キヤノントヨタに代表される企業社会は国民や国家の内部留保を切り崩して利益に替える。それは個人の預金残高だけではない。
人的資源、昔は社会全体で育てていた人的資源さえどん欲に切り崩していく。投資をせずに利益だけを追求している。社会の安全とか年金とかセーフティーネットさえ切り崩す。老人医療を、障害者の年金を福祉を切り崩す。人の幸福を切り崩して利益をあげる。地域社会を疲弊して企業は生き残る。その富みがグローバルスタンダードの名の下にどこかに消えていく。

福祉を切り捨てとか言うとすぐに「財源を示さないのは無責任」だのどううの言う輩が出てくるが、そいつらには声を大にしていいたい。
「そんなもん、糞喰らえだ。」
これ以上全体も個人も企業社会に骨身を削られたら全体が音をたてて崩壊するであろう。
俺は無学な新聞配達だ。
えらい学者やビジネスマンのエリート諸君が見れば穴が多すぎる駄文、具体的な数字さえ示していない妄想に過ぎないかもしれない。
でも、俺には貴方の背中が見える。
いいかげんにしないと次々と後ろから人が刺される社会になるであろう。
次はあなたのばんかもしれないな。

ああ、読み返すの面倒だ、そのままアップしよう。

罪悪だからこそ

俺はかつて風俗をよく利用していた。俺には「後ろめたさ」はまず希薄だった。罪悪感もそうは感じていなかった。

俺は風俗嬢に欲情した。当然である。あんなに綺麗で良い匂いがするのに欲情しない訳がない。俺は風俗嬢を「恥辱」とも「罪悪」とは思わない。ただせめて十分な報酬を支払うべきだと思う。買春という行為を行う自分自身が「悪」なのだ。

売春を徹底的に取り締まったら一番怒ったのは収入を絶たれた等の売春婦だったという都市伝説も聞く。悪を為してしまう動物としての自分がいる以上、つい誘惑に負けてしまった以上、せめて十分な報酬を彼女らに払うべきだと思う。

アジア某国を旅行したときである。10メートルおきにいる勧誘誘惑に負けてつい買ってしまったが、そういうときはありったけのチップを直接彼女らに払った。
無論、金で罪悪感を払拭しようとう根性が一番悪い。
「苦界」という様に貧困から逃れる為に彼女らは体を売った。一部に例外をあろうが洋の東西を問わず、今も昔もそうである。現在において気軽に体を売る女子がいるのも一種の「貧困」であろう。勝ち組マッチョの金持ち父さんの娘が体を売る事はあるまい。

長崎の「丸山」は経営こそ民間だが実質上の政府(奉行)の管理下にあるも等しかった。そこに働く女性も近隣の貧しい階級であった。芸子として華やかに長崎の文化の表に立つのはほんの一握りで、多くは体を売る文字通りの「苦界」に身を沈めて一生を終えた。例外的な美談も郷土史の中に見受けるがそれは「苦界」裏付ける傍証である。

売春を「5兆円産業」と言う神経自体を疑う

それは古い長崎でも一大花形産業であり経済の一角を支えていた。地元の文化を支える伝統芸能でもあった。だがそれは多くの不幸によっても支えられたものである。

『売春を「5兆円産業」とう神経自体を疑う』

倫理をどうこう言うの正論はもとより

政府が売春という不幸を認めるというの明らかに誤りである。

今は江戸時代では無い。

不幸にして売春をせざるを得ない女性達からみかじめ料を「政府」がとるのか。やくざから政府に搾取の対象が移るだけである。それでも人間というものは複雑であるから春を売る人も買う人も出てくるであろう。彼女らを厳しい父の様に取り締まり、優しい母の様に保護するのが文明国の政府の役割であろう。それが出来ないのなら政府なんざいらない。映画「マッドマックス」の「バータータウン」で十分だ。

ICカードで人間の性まで管理するとは正気であろうか。そんな人間の人間たる根源的な部分まで管理されたくない。違法にセックスすれば逮捕されるのか。そんな社会まっぴらごめんだ。

売春や麻薬を合法化し政府が管理しそれを、雇用問題、生活保障のセイフティーネットと連動させるとはとてもじゃ無いが正気の沙汰ではない。

もちろん、当然ことながら、売春を「通常の職業と完全に同じもの」として国家が認めるわけではない。通常の職業とは別枠で扱われる。たとえば、失業保険や生活保護を受ける前提条件として、「ちゃんと職探しをしたが、職が得られなかった。」というものがあるが、ここで言う「職」には売春は含まれない。このため、「売春以外に職がなかった」というケースでは、当然のことながら、失業保険も生活保護も受けられる。


市場原理主義者とやらの勝ち組マッチョは「弱者は体や麻薬を売って福祉の財源を作れ。」と言ってるようにしか俺には読み取れない。

泥棒をなくす為に公営泥棒公社が泥棒の市場を奪えばよいと言う論理にしか俺には思えない。

市場原理主義を持ち込んで良い場所とそれではダメな場所がある。何度も言うようだが市場原理主義で解決出来るなら政府なんかいらない。ダメな奴、弱者はみんな死ねばいいと言うことにはならないか?そうと書いてる訳では無いと思う。

俺は売春を悪とは思わない。売春をせざる得ない状態が悪で、金で買う自分が倫理に反してると自覚する。

お金を生み出そうと生み出さなくとも、人の為に役にたとうとたつまいと、人というものは貴いものではないのか?人間の価値は全て市場が決定するのであろうか、貨幣に換算されるものであろうか。

知人友人には「全く生産性の無い」人はいっぱいいるし、自分だってたいして稼いではいない。だが「人の貴さ」をないがしろにする様な事があれば我々は不幸であり、勝ち組としてリアルマネーとか価値を創造している人達の足下も危うくなるだろう。

人が人としての貴さを大事にしなかったら、皆が不幸の嵐のなかに集団で疾走していくことにはならないか。

「財源を示す。」のは弱者、福祉の受益者の仕事ではない。我々全体の仕事であり、政治家の仕事であり、そのための官僚システムであり、政府であり、学者達やはては末端のはてな市民(笑)ではなかろうか。

風俗嬢を尊敬します。公娼制度には反対です。

分裂勘違い君劇場「風俗嬢に説教たれる人々が痛い理由」と「売春を合法化し、厚生労働省売春管理局を作る案」 に対する俺なりの感想です。アルファブロガーにぶら下がろうと言う魂胆の、俺のような小物が言いたれる事なんで嗤って見ていただければと思います。

ダイエット本日の体重 61.8kg BMI=22.2

最近は自堕落に考え無しで喰う様になった。夜も酒を家族に隠れて飲む様になった。自重しなければ。
といってもtwitterやりながら、睡眠薬を肴に酒飲むのたまんねース。
て、おい、だめだろ。自重しろ自重。
twitterのID hennaojisan